プロフィール
江戸時代前期延宝年間(1670年代)頃、藩の推奨でこの地域に綿栽培が始まったと言われています。気候風土が綿栽培に適しており、弾力性や保湿性に優れた伯州綿はその品質を高く評価され、江戸から明治にかけて、一大産地として名を馳せました。
伯州綿は北前船で関西地方などに出荷されましたが、地元では農家の女性たちの手で糸に紡がれ、浜絣として発展し、農閑期などの収入源にもなっていました。娘が嫁ぐときにはいかりの柄、出産のときは鷹の柄をあしらった絣を織ったと言われています。
しかし、その後西洋紡績の隆盛とともに、繊維が短く紡績に向かない伯州綿は衰退していきます。農業の後継者不足も追い討ちをかけ、伯州綿と浜絣は、昭和30年頃には絶滅の危機を向かえます。昭和48年に、弓浜絣協同組合が結成され、国や自治体から補助を受けて後継者を育てるなどの活動を続け、数少ない絣作家さんの手で受け継がれてきました。
伯州綿は、みかんの花の咲くころ(5月)に、種を蒔き、初夏に黄色い花弁の奥に濃い赤色を帯びた花を咲かせます。洋綿は上向きに咲きますが、伯州綿はやや下向きに花を付け、コットンボールも同じく下向きに弾けます。10月頃から収穫が始まり、年を越してもまだ元気な木からは収穫ができます。
地元の特産物であった伯州綿を見直す動きが、平成に入ってから少しずつ広がってきました。さらにエコロジー志向の時流もあって、オーガニックコットンが注目をあびるようになり、農家や境港市農業公社が農薬を使わない伯州綿の栽培に取り組むようになりました。F&Y境港では、平成21年から伯州綿の復興の一翼を担うべく、取り組みを始め、平成22年から10アールほどの畑に栽培を始めました。